『「知らない」からはじまる ――10代の娘に聞く韓国文学のこと』(ま)&アサノタカオ ☆新本

Category : 文学 , 日本語の文学・文学論


☆この本は新本です☆

『「知らない」からはじまる ――10代の娘に聞く韓国文学のこと』
著者(ま)&アサノタカオ 
装画(ま)
装丁・組版 納谷衣美
サウダージブックス
2022年初版1刷
115頁

ここ数年数多く訳されるようになった韓国の小説には、私も揺さぶられ、勇気づけられてきた一人だ。個人が社会に根差していることに、作家が自覚的であるのだなあと感じることが多い。生きる社会が異なるとはいえ、それらを読んでいると自然と重ね合わされる思いがあって、「いま」という時代を生きている同士だという気がする。

 韓国文学ガイドでもある本書は、サウダージ・ブックスのアサノタカオさんによる、高校生の娘(ま)さんへのインタビューとエッセイで構成されている。それぞれの本を読んでの(ま)さんの言葉は、40代の私には、ときに新鮮で、ときにまさにと腑に落ちるものだったが、なによりそれらの言葉が世代を越えてまっすぐ響くことに驚いた。

 (ま)さんの言葉の多くはインタビューへの応答だけれど、最後にチョン・セラン『声をあげます』についてのエッセイが収載されている。これはとくに(ま)さんの考えの流れが見え、印象的だったのはたとえばこのような指摘。



登場人物の心理や感情をすべて書きつくそうとしない手法にリアリティを感じます。私たちは、心の中で感じたことや考えたことをすべて言葉にできるわけではないのですから。チョン・セランの小説には家族や友だちが気軽に語る断片的な話を聞くような、受け入れやすさがあるのだと思います。(107p)

いまの社会では、必要以上に他人の目を気にしたりまわりの空気を読んだりして、自分の人生の中でさえ主人公になることができない人もいます。(中略)アイドルのファンは単に憧れや愛情の対象としてではなく、アイドルの存在を心の支えにして自分を自分の人生の主人公にしているのだと思います。「推し」はわからないことの多い世界で迷ったときの指標なのかもしれません。(108p)



 自分の高校生のころを思い返してみれば、真剣にものを書こうとすればするほど、「なにが言いたいかわからない」と言われていた。自分の思いすら探しあぐねて、理屈を追いかけては見失っていたのだから、当然だ。当時の私には自分の内面を理解することがいちばん興味のある難題だったし、見えている現実社会は、家と学校のなかに収まるほんの小さなものだったなと思う。

 それにひきかえ、(ま)さんの言葉は、当時の私よりうんと広い社会からの風に吹かれている気がする。それは(ま)さんと私の性向のちがいによるのかもしれないし、ネットやSNSの普及、それらと両輪をなすようにして醸成されてきた社会の空気もあるのかもしれない。言葉が読み手に向かって発せられていて、そして届いていると思う。

 上にあげた一つめの文章は、たしかにそうだと納得したもの。私自身、おすすめの韓国文学を尋ねられたとき、チョン・セランの名を挙げることも多いけれど、そのすすめやすさの理由として、「家族や友だちが気軽に語る断片的な話を聞くような、受け入れやすさ」という表現はぴったりだと思ったのだ。その主張は、必ずしも柔らかなものではないにもかかわらず、チョン・セランの小説にはそういう度量がある。

 また二つめは、なんとも忘れがたかったもの。(ま)さんの現在の「推し」、NCTのメンバーの言葉を受けて、この世界は「複数の主人公が共存している」という認識のもとに述べられているが、それが「自分の人生の中でさえ主人公になることができない」という表現につながることに思わず立ち止まる。

 私自身を顧みれば、自分以外に主人公なんていようかというような生き方だったし、若いころはなおさらだった。だから自分などありふれた小さな存在であるとは思いながらも、このようには書けなかっただろうし、いまも書けないと思う。でもこうやって書かれてみれば、たしかに違和感なく今の私のなかに入ってくる言葉だなと思ったのだ。(ま)さんの意図とは異なるかもしれないけれど、たとえばSNSから流れ出る言葉に触れていると、そんな気持ちになる。他人との遠近感をとらえちがうような、自分が限りなく小さくなったような。



 心にひっかかるものを感じた箇所に付箋を貼っていく。言葉がつるつると流れ去るのでなく、せせらぎに落ちた葉が流れにひっかかりながらゆくように、わかるようなわからないようなの間をゆらぎながら読み終えてみれば、そのひっかかりのあとは、思いのほかたくさんの付箋となって残っていた。

 それらは、意識されていなかった自分自身のこともあるし、だれかの言葉を理解するよすがとなるものもある気がする。まだはっきり言葉にして表すことができないけれど、なんだか気になるというような。

 なんだか気になるのは、本書が現代という時代を表しているからかもしれない。「いま」は、その渦中にあるからこそ、その姿がつかみづらい。韓国文学を10代の言葉で紹介する本書は、あちこちにそれをつかむためのヒントがちりばめられているもののように思える。(カライモブックス 奥田直美)


収録の
「忘れられたものたち、忘れてはならないものたち
——ファン・ジョンウン『ディディの傘』」(アサノタカオ)
に、カライモブックスのことを書いてくださっています。

登場人物の心理や感情をすべて書きつくそうとしない手法にリアリティを感じます。私たちは、心の中で感じたことや考えたことをすべて言葉にできるわけではないのですから。
⦅(ま)本書より引用⦆

けれども小説の本を読んでいると、さっき言った作者が作り上げた世界と一対一で向き合うことができるでしょう。ほかの人の意見から独立した状態で、限られた場所の情報やストーリーに接することができるのが、逆にいいんだよ。
⦅(ま)本書より引用⦆

「未知の世界を発見する喜びは、いつも知らないものたちの冒険心からはじまる」。サウダージ・ブックスの編集人で韓国文学ファンである父親が、K - POPが好きな10代の娘に話を聞いてみた。憧れのソウルを旅行したこと、韓国の小説を読んだこと。韓国カルチャーの追っかけをするふたりのアマチュアの、少しミーハーで少しきまじめな証言を記録したインタビュー&エッセイの本。

《作者のチョン・セランには、いまの韓国はそう簡単に幸せになることが許されない暗い時代だっていう考え方があって、暗ければ暗いほど、小さな希望に光を感じられるっていうことなんじゃないの? だから……ホ先生が通りすがりの子どもに運を分けてあげたいと思うちょっとしたエピソードにもあたたかい価値が生まれるんだと思う。》
——(ま)「ホ先生が人生の最後に抱く幸福には、でも陰がある」より

〇もくじ

はじめに
——「知らない」からはじまる旅と読書 アサノタカオ

機.ぅ鵐織咼紂次,沺アサノタカオ

「バンタン食堂」で会ったお姉さんは、とてもフレンドリーだった
——BTS聖地巡礼その他 1

距離みたいなものがなくなってメンバーが身近な存在に
——BTS聖地巡礼その他 2

この「むなしさ」は自分と同じ「世界線」にある
——チェ・ウニョン『ショウコの微笑』

ホ先生が人生の最後に抱く幸福には、でも陰がある
——チョン・セラン『フィフティ・ピープル』

思いを話したいと願うようになったから「ことば」が出てきた
——ファン・インスク『野良猫姫』

背負いきれないものを背負っている人たちが何かを封印して生きている
——キム・エラン『外は夏』

問題の原因は目に見えない感情や気持ち、人と人の関係にある
——チョン・セラン『保健室のアン・ウニョン先生』

非日常のあとの日常を普通に生きていく人を描くこと
——チョン・セラン『屋上で会いましょう』

供.┘奪札

心の矢印が、ぐっと朝鮮半島のほうに傾いた アサノタカオ

忘れられたものたち、忘れてはならないものたち
——ファン・ジョンウン『ディディの傘』 アサノタカオ

わからない世界で自分を生きる
——チョン・セラン『声をあげます』 (ま)

おわりに
——親子という境域(ボーダーランズ)で話を聞く アサノタカオ

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